息子中3で高校受験の夏休み、娘は中1、父親と二人でアメリカへ帰郷。 私と息子は京都へ小旅行。久しぶりの親戚と会い奈良へ。 観光名所、博物館へ行き色々学びました。息子も公園の鹿や、 博物館の見学も楽しんだようでした。 夏休みはまだまだ続く。 家の中は2人きり、静かに時間が流れてます。 映画でも見ようか。 家族で見る映画は、ディズニーアニメ、アクション、コメディなどで 私の趣味ではありません。家族のお付き合いとして観ていました。 息子と映画を選ぶ。50/50フィフティフィフティ(主人公が好きだったので) 冒頭、結構なスラングの連発。ドラマ系のジャンルを選んだけどこの先どうなるん? 性的な描写のスラングが飛び交い、言葉の意味じゃなく、”それって何?” と聞かれたらどうしよー、夫もいないしちゃんと対応できるかなーーー と映画どころじゃない。もう止めようか、、、。 そのシーンは無事に終わり、話は深刻に進んで行った。 いい映画だった。 で、冒頭のシーン中、無事質問されずに終わった。 なんでもわからない時は聞いてくる子で、映画の最中でも 夫は一旦止めて説明をしていた。 息子、中3の夏、これは聞くべきタイミングではないな、 と思ったのかな。成長を感じた夏休みだった。笑 ティーンの娘っこと父も成長感じた夏だったかなぁ。
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島根の山の中の生活はどこへいくのも車。子どもを後ろに乗せての幼稚園の送り迎えは 私にとって憧れでした。 山梨県甲府市へ越したらすぐに手に入れたものは自転車。 まだ小さく軽かった娘を乗せて、あちこちへ出かけました。 娘、朝は園バス登園、帰りは園まで自転車でお迎えに。 長い緩い坂を下ったところに園があり、それを上って帰る。 後ろの席でいい具合に揺れ、ウトウトしてしまう娘になんとか話を するがなんせ緩い上り坂、私も必死にこぐ。 半分きたところで完全に寝てしまった娘を、落ちないように片手で支え、 片手で自転車を押す。全然楽しくなかった、、、。 ちょうど半分のところに夫の職場があり、そこまでは寝ないように頑張らせ、 職場に寄っておやつを食べ、残りの半分楽しく自転車こいだ。 ある日、一年生の息子が俺も乗せてくれとせがんだ。体格が良かった息子、重い。 下った坂は上りがある、、、 でもその理由で乗せてあげないのは悪いな。 よし、乗れ! 私は息子を乗せ、初心者のスキーヤーのように横へ横へ進み なるべく坂を下らないように時間を稼いで風を切ってサイクリンング。息子は大満足。 4年間の甲府生活、その後また島根に帰ることに。引っ越す先は山の上。 近所のママ友に愛用した自転車を託し甲府での自転車生活を終えた。 保育園での生活が多いに助けられました。 特に初めての子どもの時は、その時期が来ていることもよくわかっておらず、 先生からのそろそろパンツトレーニング開始の声で始まりました。 それなりに進みオムツ卒業していきました。 さてさて二番目、、、なかなかの苦戦。 思うように進みません。失敗すると”ごめんね”と言う。 こちらはイライラするんだけど、”ごめんね”しか言わないから 何も言えなくなる。感情が抑えきれず一回だけ頭を叩いてしまった。(反省) 失敗するとイライラするのは、後始末。拭いたり洗ったり、、、。 一度、夫が世話をしてるのをみて目からウロコ。夫は指示をするだけ。 ”雑巾持ってきて、拭いて、洗って” とやらせている。娘も従ってやっている。 母には見せる姿は甘え。失敗するとすぐに飛んでくる母。 最後の砦、これを卒業したら手が離れていくってわかっていたのだね。 就寝時はオムツパンツを履かせていたけど、いつまで続くのかしら。 ある日決心、もうオムツは買わない。 そのうち失敗も少なくなっていくかだろうと思っていたけど、毎晩続く。 長かった。季節が変わっていく、いつまで続くのかな。 もうオムツ買わない。今更もう買えない。 全ての季節が変わった頃、卒業が見えてきた。 新しいお布団を買ってお祝いした。 私はバトミントンをやっていた訳でもないけど プレイするのがとても好き。 自分の幼少時代は外遊びの一つとしてよくやったものです。 息子が小学一年生になった頃、特訓して育て上げました。 サーブ、打ち返し、子どもにとってそのタイミングや 力加減はなかなか容易ではありません。 私は自分の相手になって欲しさで、毎日根気よく何時間も繰り返し 外に出し特訓。(ゲームから遠ざける効果もアリ) 先日久しぶりにやったバトミントン、やっぱり好きだな、と思いました。 いい球が帰ってくると、”いいね、うまいよ!” 強すぎたり、変なとこに飛んでいったら ”ごめーん!” 失敗したら ”いいよ、もう一回” ”気にしないでー” 指南者は根気よく、諦めず、前向きに、楽しく、、、 下手くそとやると、球を拾いに行くので疲れます。 それでも根気よく拾って、いいよ、いいよ~と前向きに。 息子は一年経った頃、まともにできるようになり、暗くなるまで ずーーーっとやりました。(暗くなってもやり続けたな) そんな日はご飯の支度もスキップ、献立は”素うどん”。栄養も大事だけど 夢中になることも大事。どちらを優先するか見極めて、思いっきり 満喫した後は、お互いに気持ちいい。 思い出の ”バトミントン部”(部員2名) ☆(補欠ちゃん)帰省しバトを楽しみました。補欠だったのに上手くなってるじゃん。 と同時に自分の体力の衰えを感じる。ジャンプしているつもりだけど、全然届いていない(笑) 子どもに注意をしたり、叱ったりするとだんだん口答えをするようになります。
それは成長の過程です。 生意気なことを言うな、とか黙って聞いてろ、なんて言われて育った時代もありました。 子どもたちの父(夫)はこう言いました。 思い出すと心に残っている言葉です。 ① 子 ダディだってやってるじゃん 父 そうだよ、大人になるとなかなか直せないんだ 君たちはまだ若い(6歳、4歳)から今から気をつければ直せるよね。 ② 子 ダディだってそうじゃん 父 そうだね、だから君たちには自分よりもっといい人になって欲しいんだよ。 ここだけを聞くと穏やかな雰囲気だけど、とは言っても山あり谷あり。 いろんなことあったけど子どもたちの心に残っていることって何だろう。 親の思いで伝えてきたけど、通じ合っていたのかな。 これから先の人生で子どのたちが困難に直面したり、子育てをする中で 思い出したり、反面教師にしたり、 答えはこの先にあるんだろうなと思うこの頃。 クリスマスはやや大きめのツリーを出して
子どもたちはサンタさんへお手紙を書いて吊るします。アメリカの家族から,日本の親戚から 次々に贈り物が届きツリーの下に並べます。 クリスマスのプレゼントはイヴの日に1つだけ開け、あとは25日の朝まで待ちます。 たくさんのプレゼントを待ちに待ってやっと開けるのです。 子どもに待たせることを実行するのは、親の修行でもありました。 根負けしてしまったら全然意味がありません。それなら最初からやらせればよいのです。 今振り返ってもそれは本当に修行でした。笑 1年目より2年目、うちのルールはこうなんだと子どもたちも理解し、すんなりとクリスマスまでの日々を過ごすことができました。 アドベントカレンダーを利用し小さなご褒美を与えていました。 待ちに待ったプレゼントを開ける瞬間はワクワクします。 いろんな贈り物は子どもの成長に合わせた興味深いものでした。 今でも家のあちらこちらに置かれています。 息子2年生、ある日学校から帰った時の会話 ”マミー、おらSEXって何か知っとるよ!(満足げな顔)” ”そうなん?(意外と早いな)それは何なん?” ”あのね、男のアソコと女のアソコをくっつける” ”(おーあってる)そうだね、その通りだよ。” 私は次に来る質問にどう太刀打ちしようかと思案中、、、 ”ところでマミー、アソコってどこなん??” 私は自慢気にアソコを指差した。息子は唖然とした顔して ”へえ~、そうなんか。(沈黙) マミーもしたん??” ”せんとあんた生まれてないわ~~~!!” 娘4歳になった頃、父と二人でアメリカへ帰省することに。
空港へ見送りに、寂しがるとこもなくやる気満々でキャリーバッグを引き 振り返ることもなくゲートの向こうへ。その姿は生き生きとしていて 母と離れ初めての旅行とは思えないほど、お別れもちろん泣きもせず。 あちらでは夫は仕事があり、娘はデイケアに行きなんとかやっていだようでした。 いつもはやりたい放題で、この旅行もどうなるかと思っていたけど、 帰国した時、よくやったね、と認めてあげる出来事でした。 かわいい子には旅を、、、実感しました。子どもたちは思っている以上に 自分を発揮し自由になるんだと。 その後も、よそのお宅に泊まることはへちゃらで よくお友達の家にお泊まりさせてもらいました。お世話になりました。 夏休みプラス数週間、親元を離れアメリカの親戚の家にホームステイすることに。
息子はゴミ出しの役をもらい家族の一員として日々を過ごしたようです。 アメリカまで送り届け息子と別れる時、”オラ英語とかようわからんけど、まあやって見るわ”と。 好奇心旺盛な小3男子、サマーシャンプに参加したり、地元の学校へ通わせてもらったり、NYへ観光に行ったりと、貴重な体験をした夏でした。1ヶ月後父親が迎えに行き帰国。通学の体験は父との共通話題、父親にとっても幸せなひと時でした。 思い返すと小1の時、好奇心旺盛なあまり調子に乗りすぎて、登校班長の6年生に旗の柄で叩かれ泣いて帰ったことがあった。6年生も手に余ったのだと思った。 人が思う限度はそれぞれ違い、相手の様子をよく見ていないとわからない、1年生のガキンチョにはそんなことわかりっこないよな。6年生の限度を大いに越したのだろう。痛い目にあったけど、そうやって人との距離感を覚えていくのだと見守りました。 親歴6年の頃はこれでいいのか不安に思うことも多々ありました。 見知らぬ地で親元を離れ過ごした日々でその好奇心を発揮し、周りの人たちに可愛がってもらい感謝でした。 娘の幼稚園は週1で弁当の日がありました。パンの販売もあってお金をもたせてもOK。
リクエストはいつも焼きそば、最初はキャベツや肉を入れてもたせていたけど、 100%、麺以外は残してくる。また残したの?食べてよ、とマイナスのコメント。 ある日考えた、何のために残すとわかっているものを入れるのか。 先生たちが見てバランスの悪い弁当と思われるから? 確かに麺のみの弁当はバランス悪い、でも完食できた経験の方が今は大事だ!と。 次の弁当からは麺のみ、申し訳ないので鰹節をたっぷりのせた。 空の弁当箱を持ち帰った時、 ”完食したんだ!すごいね!”と心の底から声が出た。 この春18歳で家を離れた娘、今も焼きそばは好物。 食べる時がきたら野菜も肉も食べるようになった。 |